☆balcoのぴかぴか一番星☆ ~育児奮闘と日々のこと~

結婚直後の2008年11月から9年間夫の両親と同居後、2018年4月に夫の仕事の事情で同居解消しました。両側卵管閉塞のため不妊治療の元、結婚6年目の2015年5月に待望なる娘を出産、2019年7月に次女を出産。20年間正社員で勤めた会社を退職し、今は夫と二人三脚で働いてます。ネガティブ思考の強い40代主婦の日常を綴ります。

【新型コロナ感染】3歳・下の子、ついに感染してしまいました。

ついに我が家にもコロナウイルスが来てしまいました。

下の子が通っている園で流行りだして、近いうちにうちにも…なんて覚悟はしていたのですが、

いざ自分たちがそれに該当するとなると、精神的にダメージも大きいです。

 

下の子、月曜日に濃厚接触者になってしまったからとお昼ごろに園からお迎え要請のお電話がありました。

その時点では娘は元気いっぱい。

帰宅して、お昼寝していたら、うなされてる。

ちょっと変だなと思って、おでこを触ったら

 

熱い

 

体温を測ると39度以上ありました。

 

これはもう間違いないだろうなと覚悟しつつ、やっぱり私も慌てていたみたいで夫にどうしよう??と電話してました。

とりあえずかかりつけの小児科に電話をしなくちゃ、という事で電話をしたのですが

休診日だったみたいで留守電で応答されてしまいました。

 

どうしてもすぐにでも病院へ連れて行って白黒はっきりしたい気持ちがあって、近くの小児科に事情を話し、診てもらえることになりました。

(とても親切な受付の方、看護師さん、医者の先生で助かりました。)

隔離室が空くまでは車の中で待機して、診察に臨みました。

 

診察後すぐに抗原検査。

結果は10分程度で出るからと、すぐに病院を出て車で待機しました。

娘は車に乗ったもののなかなか走り出さないことにグズグズしだして。

私は運転席に乗っていたので、後ろの座席から娘を抱き寄せ、私の膝に向かい合わせに座らせました。

 

娘は病院へ向かっている途中に野菜ジュースを飲んでいたのですが、グズグズしていたのは気持ち悪かったのもあったようで、

私の膝に座らせるや否や、盛大に吐きました。

私も車のシートも娘の嘔吐物でベチャベチャになりました。

一旦帰りたいけど…と思いながらも、診察結果が出るまでもう少しだからと我慢しました。

まだかまだかと待っていたのですが、10分経っても連絡が来ません。

病院も混んでいたので仕方ないと自分に言い聞かせ、辛抱強く待ちました。

 

20分を過ぎた頃にやっと連絡が来て、娘のコロナウイルス陽性が判明しました。

それから、車まで事務の方が来てくださりお会計を済ませ、調剤薬局の薬剤師さんが薬を届けてくれ、家へ帰ることができました。

 

しかし、上の子は学童に預けたままだったのでお迎えに行かなければなりません。

こんな格好ではとてもじゃないけど、こお迎えに行けません。

仕事中の夫に「助けて」と電話をして、夫が上の子を迎えに行ってくれることになりました。

 

帰宅後、すぐに下の子とバスルームへ移動し、服を脱ぎ捨てシャワーを浴びました。

着ていた服は処分することも考えたのですが、熱湯消毒することにしました。

お鍋でお湯を沸かし、汚れた服は軽くすすいでバケツに入れ、熱湯をバケツに注ぎ、その後洗濯をしました。

 

その後も下の子は数ミリリットルの水分をお腹に入れただけでも吐きました。

また私も下の子もシャワーに入りを繰り返しました。

その日の夜は下の子にはスプーン1杯の水分を様子見ながら数回与えて、夜ご飯は食べさせませんでした。

 

我が家の感染対策は可能な限り家の中をアルコールで拭きました。

濃厚接触者になってしまった私、夫、上の子は家の中でもマスク生活をすることとし、寝室は私と下の子だけ別室で寝ることにしました。

 

翌朝、若干熱は高いものの下の子は元気に起床しました。

日中も元気に過ごしました。

発熱してから3日目には熱は全く出なくなり、コロナであるのが嘘のように元気に過ごしました。

 

家庭内感染もありませんでした。

 

そして、今日は発熱してから6日目。

相変わらず下の子は元気いっぱいです。

幸いなことに家族感染もありません。

今日が無事に過ぎれば、濃厚接触者としての隔離機関も解除されます。

どうかこのまま何事もなく、時間が過ぎて欲しいと切に願っているところです。

 

まだまだ安心できない、世の中。

早くコロナが収束して、世界から戦争もなくなり、安心して生活できる社会になりますように。